オリパラも一段落しましたが、三重県では新型コロナ感染の新規患者数が連日3桁となっており、医療事情が逼迫しています。三重大学医学部附属病院が多くの感染患者さんを引き受けてくださっているため、ギリギリ持ちこたえてはいるものの、三重大学でしかできない難易度の高い医療が先送りになっており、こちらも大問題になっています。
また、今秋開催予定でした三重国体、通称とこわか国体も中止となりました。
厳しい状況ですが、今回も津新町駅の今を見て、過去を振り返りたいと思います。

写真1
写真1は津新町駅のすぐ西、いわゆる五間道路の交差点です。
見えている建物は料理旅館の「綾」。交差点の南西角にあります。
今は旅館はしていませんが、かつては団体客も宿泊していました。
有名なのは前回の国体(昭和50年)の時、ここに高校野球の東海大相模が宿泊したことでしょう。
読売ジャイアンツの原辰徳監督が高校3年生で、ここに泊まったのです。
当時はファン、その多くは若い女性でこの周辺一帯が騒然となりました。

写真2
写真2は交差点の北西角。今ではチェーン店の寿司屋になっていますが、昭和末期から平成初期にここには「高田ベーカリー」がありました。
個人経営の焼き立てパンがまだ少なかった時代に、人気を集めたお店でした。

写真3
写真3は交差点の北東角。今はビルになり、「ルート」というプチレストランになっています。
昭和の頃、ここにあったのが「旭屋食堂」。名物のスナイスを覚えていますでしょうか。
当時、運動クラブの生徒たちが帰宅前にここでスナイスを飲んで(?)いました。

写真4
写真4はそのすぐ東、薄暗い路地の奥に駐輪場がありました。
津新町駅を利用していた生徒で、ここに自転車を置いていた人はかなりいたのではないでしょうか。
今は駐輪場はしていませんが、となりの理容室「チェリー」は営業しています。
姿は変わってきましたが、今でも津新町駅とその周辺は母校生徒たちの大切な場所です。
文・写真/ふるさと通信員・テツじゃ